AIによる巨大インシデント発生 その2

縮小不安

2019年1月26日(土)  第2項目

「ご主人様、早く起きて下さい、また大学に遅刻しますよ……」と、枕元で女子の甘い声で肩を揺すられると、大学生の桐山亮太はまだ眠い目をこすりながらも何とか目を覚ました。閉じられた遮光カーテンの隙間からは、強い外の光が数本ベッドまで差し込んでいる。

「今、大学は夏季休暇中だぜ」と、桐山亮太はすぐ隣にいるメイドにまだ眠そうな声で応える。

「いいえ、今日から夏季の集中講座が始まります。大学のシラバスには、今日から約2週間の予定だと記されています」

と、そのメイドであるAyaは即座に桐山亮太に反論した。大学生を可愛いメイドが起こすなど非現実的だと思われるかもしれない。だが、この身長が150cmのメイドのAyaは、大学で情報工学を専攻している桐山亮太自らが作ったホログラム仕様で作られたメイドで、Ayaには人工知能が内蔵されている。桐山亮太は、Pythonや純粋関数型言語のHaskell、論理型言語のProlog、Rustなどのプログラミング言語を使って、AIメイドのAyaを作った。まだ、幾つかバグがある感じで、たまに人工彼女の挙動がおかしくなることもあるが、亮太は自作したAyaにそれなりの愛着を感じていた。Ayaにはハプティクスという触覚インターフェースも実装してあったので、その実体としてはホログラムであるにもかかわらず、人間の肌が触れたような感触を得ることができる。だから当然、人間とするキスの時のような唇の感触もちゃんと感じることができた。

 

Ayaは今年の春にようやく、試作品として彼が完成させたものだ。Ayaと触れ合っていると、桐山亮太は、自分が未来の芸術家にでもなったような気分も味わうことが出来た。20XY年では、なんでも人工知能が自律的に作業遂行できる時代に入りつつあったが、それでもまだ人間が創造する喜びと領域がそこには多少残っていた。

「あ、そうだったか。忘れてたよ。Aya、目覚めにアイスコーヒーでも持ってきてくれない」

と、亮太はAyaに頼む。Ayaは簡単な家事程度なら、こなすことが出来る人工知能だった。ただ、難しい家事はまだ人間の自分がこなさなければならなかったが。

「はい、分かりました、ご主人様。でも、その前に重要なお話があります」

と答えて、人工知能のメイドAyaは少し真剣な表情になる。それでも、可愛らしい顔であることには変わりなかった。Ayaはアキバ周辺で受けそうなメイドらしい顔をしていた。

「なんだよ、早く言ってくれ」

と、亮太はや不貞腐れた顔で言った。

「はい。では手短に伝えます。都内で、今朝から大型の奇病が流行している模様です」

と、Ayaは少し神妙な顔で言った。ホログラムであるのに、やけに臨場感が高く、少し油断すると本当に生身の人間のように人工知能の彼女は映った。

「なんだ、新型インフルエンザか何かかい?」

と亮太はAyaの表現を誇張だとでも言わんばかりに、軽く茶化すようにそう訊ねた。

「いいえ、違います、ご主人様。都内にいる人々の顔の一部に異変が発生している模様です。報道によりますと、両目が寄ってきて重なり、やがてひとつの目玉だけになってしまった人たちが一部発生している模様です」

とAyaは、少し悲しそうな顔になって答えた。亮太は自分で設計した感情エンジンが内蔵されたホログラムのAyaをしばらく見つめて無言になる。俺、Ayaの設計、どっかミスっちまったかな、と考えたりもした。目玉が一つになる奇病の集団発生など、亮太は今まで聞いたことがなかった。今日はエープリルフールでもないし、ハロウィンのお化け仮装イベントが始まっているのでもないだろうし、と亮太は様々な推測をそれに巡らせた。

 

亮太は人工知能メイドのAyaの今伝えたことの確認のため、ホログラム式テレビの電源を押した。20XY年の大半の人々は、フラットテレビを更に超薄にしたようなホログラフィックな仮想媒体上でテレビや動画を視聴するようになっていた。このホログラム式のテレビであれば居住スペースの狭い日本でも場所を全く取ることがなかったので、この新たに開発されたテクノロジーは重宝された。移動も自由に出来たので便利だった。バスルームでもトイレでもキッチンでもリビングでも、縮尺を自在に変更して、このホログラフィック式テレビをどこでも堪能することができた。

そして、すぐにホログラム画面が現れると、ニュース速報の大きなテロップと共に、Ayaが今亮太に伝えた通りの内容を現場から報道記者が伝えていた。ただし、プライバシーや顔貌のグロテスクさに配慮してのことか、その一つの目玉になった人々へのインタビューはすべて顔の部分にモザイクでマスキングがされていたので、目玉が一つだけになった都内の人々の顔を亮太は直接そのホログラム画面から見ることは出来なかった。

そして番組の現地取材は、秋葉原のPCショップ内でのものに切り替わった。そこでインタビューアは、青いストライプのお店の制服を着た、やはり目玉が中央に一つだけになった奇病に今朝、罹患したばかりの店員の一人にインタビューをしていた。その少し横に、亮太と同じくらいの年齢の女子がいた。彼女は少し不安そうな顔で、そのインタビューのやり取りを聞いてるようだった。彼女はPCクーラーの製品を持った商品を両手に抱えていた。Ayaと同様に、どこかアキバでバイトするメイド似た可愛らしさを亮太は彼女に感じた。

 

「一体、何が起こっているのだろうな」

と桐山亮太はホログラムのモニターを眺めながら、隣でいつの間にか彼に頼まれたアイスコーヒーをすでに用意して佇んでいたAyaに向かって言った。

「ご主人様は、今から大学の夏季の集中講座に行くのだから、自分の両目でちゃんと確かめれば良いではないですか」

と人工知能内蔵のメイドのAyaは、少しふくれっ面になった。両頬は淡いピンク色に染まり始めた。そして、Ayaは自分の両目を少し努力して中央に寄らせようとする。そのAyaの無垢な表情を見ながら、亮太は笑った。だが、亮太の内心には得体の知れぬ不安が薄っすらと広がった。桐山亮太の今この瞬間の表情は、きっと、このホログラムのモニター画面に映るPCクーラーの箱を何個も胸に抱えた女子の不安げな表情とそっくりなのかもしれない、と彼は内心で思いながら……

 

 

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