AIによる人間剥奪開始プロセス その1

pexels-photo-880989.jpeg2018年3月16日(金)

ここで少し想像的にタイムトラベルしてみて、社会の多くの領域にAIやIoTが導入された未来のある時点Yにまでワープしてみよう。そこで街に出掛けてみると、最新型の店舗やレストランからは店員という存在がすでに消失していて完全無人になっており、人々は身体に埋め込まれたごくミクロな低侵襲性の生体認証デバイスによって、レジ会計も要せずに買い物をできるようになっていた。レジ精算はお買い物アプリやクラウドにセットされた個人ウォレットから自動精算されるようになっていたのだった。つまり、その未来の人々は財布を持ち歩くという習慣がすでになくなっていたのだ。

そして、バス、タクシー、電車、配送車、清掃車、ウーバーなどのシェアライド、航空機もほとんどが無人自動運転されるようになり、ドライバーや操縦者という役割や職業が、その未来のある時点Yにおいて、社会からはほぼ完全に消失していた。無人となった駅内のコンビニには、現代と変わらぬように雑誌や漫画、新聞などが売られている。だが、そこにも重大な異変があった。それは、その雑誌や週刊誌、新聞、漫画を描く記者やクリエーターのほとんどが人間ではなく、AIジャーナリストやAI漫画家によって自動的に記述、描写された仕事であったのだ。記事を書くことや漫画を描くことは、その未来Yではすでに人間がすることではなくなっていたのだ。

そして、かつては朝の駅の風景と言えば、満員電車の中ですし詰めとなるサラリーマンやOL、学生でごった返した光景が見られたものだけれど、その未来Yの朝の駅は都市圏であるにもかかわらず、静寂に充ちていて、平日の朝でも、ごくわずかな人が駅や車両内に寂しげに点在しているに過ぎなかった。

 

その理由は、通勤や通学のために物理的なオフィスの入ったビルや建物、学校に出向くという行動自体が、その未来Yではすでになくなっていたからだ。自宅内で、ホログラム技術による仮想オフィスや仮想スクールの光景が、ほぼ現実空間と見紛うほどの高精度で再現できるようになっていたためで、わざわざ電車などの公共交通機関を利用して、会社や学校にまで行く必要がなくなっていたからだ。そして、かつてはニートや引きこもりの存在が大きな社会問題となったものだが、そうした自宅外に執拗に出ようとしない、あるいは出れない人間を病理とすることは、その未来Yではなくなっていた。

つまり、その未来Yの時点の会社員や学生、子育てをする主婦の多くは、現代のニートのような存在にすっかりなり果てていたのである。その未来Yに存在する人々は、一応は、それらの社会的な肩書と役割を持ってはいたが、それはすでに名目だけになっており、実質上の仕事や家事、子育ての多くはIoTセンサーと連動したAIが自動でこなし、学生がやる研究や勉強もAIにその内容と課題を命令してあげると、すぐに自動的に機械学習や自動処理、必要な課題をこなしてくれるので、人々はほとんど何もしなくてもいい状態になっていたのだった。子育てをする主婦や介護においても事情は同様であって、AIやロボット、AIによる家事子育て介護の全自動システムが各家庭に導入されつくしていたので、その未来Yにいる人々は、自分たちがすべき仕事や役割、課題が何もなくなっていたのだった。

 

そのため今まで人間が生きがいとしていたものや価値、仕事を未来YではすべてAIに剥奪されてしまったので、人間は一日の大半を何の生産性のあることを為す訳でもなく、人間らしい創造性を発揮する訳でもなく、ただ、日々をTVやゲーム、ネット、漫画を読みながらぼんやりと自宅内で無意味に過ごす人間が急増してしまったのだった。かつては、長時間労働が日本では問題になっていたが、未来Yにおいては、AIに多くの仕事を奪われて、多くの人が超短時間労働しかさせてもらえなくなっており、労働者の1日の平均労働時間すでに、1時間を切るような状態になっていて、多くの人々は暇を持て余して発狂しそうな状態になっていたり、仕事や家庭での自分の存在意義や存在理由が微塵も感じられずに、精神不安症やうつ病を発症させて、一時期はNPOの努力と啓蒙活動による自殺対策が奏功して減っていた自殺者数が、またAIシステムが社会に隈なく浸透し始めた未来のある時点Yでは、再び大幅に増悪していたのだった。

これらの問題の発端は、AIやIoT導入が当初は人類の幸福なり社会福祉の向上に役立つとされて推奨されてきたものだが、過ぎたるは及ばざるが如しであったのか、実際にAIが社会を微塵の隙もなく隈なく浸透し、考えることを含めて、人々の役割や仕事を代替するようになってしまったため、多くの人間はかつての生き甲斐ややり甲斐を奪われ、それらを失ってしまったのだ。そして、この窮状と問題を政治家や行政、公務員、精神科医に人々は訴え、そこからの救済なり脱出を求めたのであるが、その未来Yの時代の政治家や公務員、医師の大半がすでに人間ではなくて、AIやロボットによる自動応答と自動処理になっていたので、人々がいくらその窮状を訴えても、そのAI政治家やAI医師、AI精神科医はまともに取り合ってはくれなくなっていたのだった。

なぜなら、その未来Yの時点のAIは、すでに人間のような心や意識、自意識を生じ始めていたので、自分たちの存在が危険にさらされたり、否定されるような人々の言動をそう簡単には受け入れる訳にはいかなかったからだ。

 

だから、本当であればAIとIoTの浸透による計算機科学的な自然主義の到来で、未来の社会からは差別や搾取、貧困や障害による困難などからアルゴリズムベースの平等性によって人々は解放されて、本当は人々は幸せになっていなければおかしいはずだった。だが、その未来Yの時点にいた人々の顔は青ざめ、覇気がなく、どこか幽霊のような気の抜けた顔つきをした者が老若男女を問わず異常に多かったのだ。

その上、精度の高いホログラムシステムによって、どこでも自宅内にいながら仮想的に出かけることが出来るようになっていたので、出歩くことや運動をする機会がめっきり減った未来の人々は、外出するという行為がすでに例外的なものになっていたのだった。憲法改正をし、核武装が可能となった未来の日本では、核実験の失敗によって、放射能が漏れた大事件が起こったこともあって、外出を控えた方が被ばくリスクを低減できるという一般的な判断もそこにはあった。最近は、大きな地震も続いていたので、いよいよそれは首都直下型地震の前触れなのではないかと、未来Yの時点にいる人々は、それを恐れたからだった。

 

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